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ルナさんのこと
  ルナさんは整体のお客さんで、画家のお父様がルノアールをもじってつけられたお名前だそうで、そのことを伺ってから苗字ではなくルナさんと呼ばせていただいていました。
  ルナさんは整体の間ほとんど寝ていましたが、手術をなさってからは寝ることがなくなり、90分ずうっとお話を聞かせてくださいました。
 ルナさんのご主人は警察官でご自身は養護学校の先生をなさっていて、安保闘争のときにはルナさんはデモ行進に参加し、ご主人はその行進に向かってホースで水をかけていたのだそうです。
 その後もご主人とのことでルナさんは家出をされたり、自ら命を絶とうとなさったりしたこともあったそうですが、晩年は同じ屋根の下で娘さんご夫婦と4人の孫に囲まれて生活し、ご主人の最後を看取りました。私は、思想が真逆の夫婦が一緒に暮らせるのか、と驚きました。
  さらに病気が進行してくると、今度は今のご家族のことを面白おかしく話してくださいました。お孫さんの学校の様子、飼っている犬や猫の様子、娘婿にはあんな優しい人はいない、と言い、娘は仕事に出かける前お弁当を作っておいてくれるとさりげなく感謝していました。痛いとか辛いという話は一切なく私との会話を楽しんでくださっている様子で私も合わせて楽しませていただいていました。
 ある時、ルナさんから電話がかかってきて、入院することになりました、と言われました。私はお見舞いに、と思っていたらわずかその10日後に80歳で逝去されました。
 あとから思うと、あの時のルナさんとの会話は単なる日常会話ではなかったのです。会話の中でご自分の人生を振り返り、確認していたのであり、私はそこに立ち合せていただいていたのだと気づきました。むやみに病気の心配などさせない、という気迫がありました。
 葬儀のときはルナさんに感謝の気持ちでいっぱいでした。丸一年経った今、ルナさんからいただいたことの大きさを更に感じています。
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今日
  午前中気功教室、午後は東京療術学院で帯津良一先生の講義、その後アフタースクール(お茶会)、夜は出張整体、という一日でした。
 
 気功教室で、初めて30分呼吸法(瞑想)の時間を取りました。忙しい、と感じる方にこそ、じっと座って呼吸法をすることは大切です。でも眠くなってしまったり、じっとしていられなかったり、なかなか座るだけというのも難しいものです。
 今日はずっと気持ちよさそうに座っている方もいて30分通すことができとても嬉しく思いました。

 帯津先生の講義で心に残ったのは「挫折は良い」ということです。
帯津先生は挫折を経験しなかったら、ホメオパシーという代替療法に出会っていなかったかもしれない、とおっしゃっていました。挫折だらけで生きている私ですが、その分人のことも理解できるようになっているのかな、と思うと元気になる言葉でした。

 この後の仲間とのアフタースクールも貴重な時間です。
今日は新しく教室を開くという後輩にみんなでアドバイスを。自分の知識や経験や失敗を惜しみなく語って、私も本当に参考になりました。
「反省するけど落ち込まない」  この精神いいですね!

 最後に同じマンションに住む方のお宅へ整体に行きました。14年脳梗塞で半身不随のご主人の介護をしていらっしゃいます。「どこへも行けないのよ」・・・そうでしょうね。頭が下がります。
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深い喜び

 呼吸が大事、というのはほとんどの人が理解していると思います。だいたい呼吸できなかったら生きていられません。
 でも、呼吸の何が大切なのかを体感できる人は多くはないかも知れません。呼吸法を続けていくとその人の段階によっていろんな変化があるようです。
 万物とともにいる感覚で深く呼吸ができるようになってくると、深いリラックスが得られ慈愛と幸福感があるようです。最近ヨガと気功の本を読み、同じことが書かれていたことと、気功の先生から学ぶことを合わせると、これは確信に近くなってきます。
 不安、心配、焦りはみんな呼吸が浅い状態ではないでしょうか。人が人とだけではなく、木や虫や海や空や月や太陽とともに45億年前から在り続けていることを呼吸を通じて体感できるようになってくれば、きっと見る世界は変わっていくものと思います。
 

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呼吸について
  なんの本に書いてあったか思い出せないのですが、呼吸は意識を操作するので使い方を間違えると危険だ、と読んだ覚えがあります。確かにどうもそんな気がするので、書くことに慎重になるんですが、言いたいことは沢山あります。
 張明亮先生が繰り返しおっしゃることは、観察、ということです。呼吸も観察します。吸った息がどこに入っていくのか、吐いた息はどうなのか。意識的に分析しない練習をして”観”します。逆説のようですが、そのことを深めていくと自分の意識を自分でコントロールできるようになっていくようです。先生は眠る、ということも夢までもコントロールできるようになると言います。観察、ということを通してそこまで自己を理解できるようになったら、死もきっと深く理解できるようになるのでしょう。
学ぶことが楽しくなってきます。
 
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呼吸が教えてくれること
 東京療術学院で「統合医学」という講座があり、先週は帯津先生の講義で今日は気功の外山美恵子先生の講座でした。
 生徒それぞれがそれぞれの呼吸法を試みて、観察したことを発表しました。目に見えないものを言語で表現するのはとても興味深いです。でも呼吸法を経験したことがない人が聞いたら怪しい世界だ、と思ってしまうかも知れません。
 色や光が見えた人、気持ちいいと感じた人に先生はこうおっしゃいました。「色が見えるのはいいですが、その色を追ってしまったら脳波が変ります。気持ちがいいからほかのことをしたくない、と思ったらそこで全てがストップしてしまいます。そこに留まってはいけません。」  ううん含蓄があります。
 深く呼吸に気持ちを向けていると喜びの中に厳かな気持ちが生まれてきます。全てを許したくなる、という表現をした人もいました。
呼吸は確かに何かのメッセージを持っているのではないかと思います。
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気功は春

 中国へ気功の研修旅行へ行った時、勇気をふりしぼって峨眉派14代伝人の張明亮先生に好きな言葉を色紙に書いていただくようにお願いしました。
修使若燃灯常和住春風」
気功を沢山練習して内側に火を灯し、いつも春風の中にいるように生活する、という意味のようです。
気功を沢山練習(練功といいます)していくといつも爽やかな春風のような気持ちでいられるようです。今日はようやく春らしい陽気になって先生の色紙の言葉を思い出しました。

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引き続き村上春樹さん受賞記念講演
 村上春樹は講演中でお父さんのことに触れています。
「私は昨年、父を90歳で亡くしました。現役時代は教師で、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院生だった時に徴兵されて陸軍に入り、中国戦線に送られました。私は戦後生まれですが、父が毎朝、朝食前に自宅の小さな仏壇に向かい、長い心のこもった祈りをささげている姿をよく目にしました。ある時、なぜそんなことをするのかと聞いたら、戦場で死んだ人を悼んでいる、との答えが返ってきました。死んだ人みんなの冥福を祈っているんだよ、味方も敵もみんなだよ、と父は言いました。仏壇の前に座った父の背中を見つめながら、父のいるあたりを死の影が漂っているような気がしました。」
私も父に死の影を感じていました。父は20代前半に徴兵され戦後南方で捕虜になり戻って結核になって40前にようやく結婚して兄と私が生まれました。戦争のことを聞いても「なにもなかった」というだけでしたが、何もないはずがなく、そこはかとなく孤独な感じが漂っていました。父が亡くなったとき、戦争の記憶を墓場まで持っていったんだな、と思いました。でも父が語らなくても十分そのいたみは私にも受け継がれた、という実感があります。
村上春樹は「父の周辺にひそんでいた死の存在は私の記憶として残りました。それは、父から受け継いだ数少ないものの一つ、最も大切なものの一つです。」と言っています。
これは村上春樹が伝えたいこととは直接関係ないのですが、整体をしていていて思うのは戦禍を潜り抜けた全ての人たちの「今とこれから」が平安であることを祈っています。
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恐れ多くも村上春樹氏と張明亮老師
 毎日新聞の今日の夕刊にエルサレム賞を受賞した村上春樹さん記念講演全文(上)が載っていました。「壁と卵」のことは前に読んでいたく感動しましたが、今日は別の文章で「自分の目で見たものや、自分の手で触れたものでなければ、心から信頼できません。」について。
昨年中国で気功を教えていただいた峨眉法14代伝人張明亮先生が‘迷信‘ということばについてこんなことをおっしゃっていました。「わかっていないのに信じることが迷信、どこをむいていいかわからず言われたとおりにする。自分自身を根拠に探しあてる。それは判断する能力が培われます。自分で実践して感じとれなければそれは迷信です。」
これは気功の練習についての話ですがほとんど同じこと言ってると思いました。

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合気道 part2
 合気道のワークショップで、すり足、というのを教えていただきました。
(気功で、すり足をすると注意されます)。
実際すり足をしてみるとお腹にちゃんと力が入ってきます。足を引きずって、歩くことが面倒くさそうにしているのと根本が違う。腰を落としてなんば歩きをすると歩きやすいです。なんば歩きは緊張した小学生が手と足一緒に動かして笑われるので誰もやらなくなっていますが、身体をひねらなくていいので合理的な歩き方だと思います。
子どもの時「腹に力を入れろ!」とよく言われお腹に思いっきり力を入れてみたりしましたが体が硬直するばかりで意味がわかりませんでした。腹に力は入るというのはエネルギーがおへその下に集まってくる感覚といったらいいでしょうか。中心が定まり、手足が自由に動く感じです。
 この写真は、かわいらしいお子さんのほうが息をはきながら、お父さんに掴まれた手を開き、相手の脇を開かせて力を分散させるところです。(参加くださってありがとうございました)
なんか、合気道の基本だけでも十分健康法になるんじゃないかと思い、実際にそんな感想もいただきました。
丹田力ついたら肝が座って「頭にくる」人や「切れる」人が減るんじゃないでしょうか。わあ、日本語も面白いです。じゃあ「腹が立つ」のは?


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気功の師匠との出会い
 『毎日の気功シンプルレッスン』の著者、外山美恵子先生に気功を教えていただいています。
気功を習い始めた頃、あまりに体調が悪く、講座の後先生をつかまえて、筋腫があって出血がひどくてすごい貧血で胃腸も悪いから鉄剤が合わない、どこの医者に行っても切ることしか言ってくれない、と自分がどんなに具合が悪いか訴えました。わらをもつかむ気持ちだったので先生がこれ、と言ってくれたらどんなことでも試してみるつもりでした。でも先生は何も言わず聞いているだけでした。
そして帰り道私ははっきりと、誰も助けてくれない、自分で何とかするしかない、と思いました。
でもそれが改善するきっかけになっていたと後で気づくことになります。
誰でもそんな相談をされたらこれもあるしあれもある、と言いいたくなります。それを言わない、というのはもしかしたら凄い人かどうでもいい人かどっちかだな、と思いながら、先生に教わるのではなく気功を教わる、というスタンスで続けていました。
続けているうちに、もしかして いけないのは私の心の持ちよう?と思えてきました。
気功に調身(ちょうしん)調息(ちょうそく)調心(ちょうしん)という言葉をがあります。姿勢を整え、呼吸を整えれば自然に心が整ってくる。不平、不満、怒りは調身調息で別の感情に変化していきます。
次第にそんな気づきが次々に起こり、そのたびに嬉しくて楽しくてあっという間に月日が流れていきまいした。
そして先生から、インプットしたものはアウトプットしなさい、自分が学んだことは人にお返ししなさい、と言われ、教室を開くことを後押ししていただいて今に至っています。
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